Sho-Sho Blog

自分磨きの為の記録

人の人生の楽しみを聞く。

僕の人生の楽しみは散歩だ。

散歩していれば無心になれるし、その延長でいいアイデアが浮かんだりする。

何も特別な事をするわけではないが、何気ない散歩という行動が自分を一番リラックスさせてくれる。

 

何気ない事に楽しみを見出す事はできるが、特別な趣味があるわけではない。

他の人はどのような人生の楽しみかたをしているのか興味が湧いたので、友人との会話の中で質問して見た。

 

彼の趣味は地方へ日帰り温泉旅行だった。

日本の文化、温泉は自分にとって盲点だった。

 

もし露天風呂なら自然の景色を一望し、のんびりお湯に浸かってリラックスできるだろう。

 

僕も楽しめると思う。

 

人の価値観を通して人生の醍醐味を知ることも勉強になると学んだ。

言い訳は無限。

人間、言い訳を言い出すといくらでも出てくる。

何か自分にとって不都合が出た時、何かしらの理由を作る事で目標を達成できなかった事に対して慰めをかけるようにしている。

 

一時凌ぎは出来るが最終的には自分の理想を達成出来なかったことへの不満がいつか爆発すると思う。それが晩年になってからでは取り返しがつかない。

 

理由はどうであれ、最終的には自分がセットした目標を達成出来るようにモチベーションを維持していきたい。

 

そして、人生を最大限に楽しむ為に、生まれてきて良かったと心から思えるように今やるべき事をやっていく。

一歩ずつ。

毎日反省するが本当に為になっているのか疑問に思う。

むしろ反省すると自分の失敗ばかりにフォーカスしてしまいマイナス感情の方が湧いてきてしまう。

 

反省の習慣は自分の日本人ぽいところだと思った。

反省が美徳として飾られる文化歯あるけど、、むしろ成長や達成できた部分をないがしろになっている部分があって残念に思える事がある。

 

もっと自分を褒めてあげてもいいと思う。自分を褒めてあげられるのは自分の事を一番見ている自分だけだから。

 

褒めれば褒めるほどモチベーションに繋がってさらなる成長に繋がると思う。

書く楽しさ。

文字で何かを表現する事に慣れてきた感覚がある。

量をこなす事は出来るしそれを毎日継続する事にも慣れてきた。

 

でも質について言えばはっきりいって学生レベルだ。

大切な情報を他人に伝えるとなると体裁が整った形で載せるべきだと思うし、自分もその能力が欲しい。

 

一歩進んでもまた次の壁が見えてきて悔しい思いが募るがこれも大目標を達成するには必要な労力と捕まえて処理していく他ない。

 

自分が楽しめる事がやっと見えかけているのでこのチャンスは絶対にものにしなければならない。

習慣化の力。

習慣化の重要さについて改めて再認識した。

 

新しい習慣を取り入れる事によって失われる習慣もある。

まだ年齢が若い事に行なっていた習慣で、且つ理に適っていたものに気づく事が多々ある。

 

壁にぶつかった時に試行錯誤するが中々結果に繋がらない時は過去の習慣についての記録を参照する。

 

その記録と同時に当時の体調やモチベーションが脳裏に浮かぶ。

そして再度実践すると効果的なものが多くある。

 

過去に長期間に渡り習慣化している事で体に染み付いてい部分があるので、インターバルがあってもすぐに結果に結びつき安い。

やめてしまった習慣でも時に苦しい時期に再び自らを救ってくれたりする。

続ける続けないに関わらず習慣を色々持っておくのは生涯に渡って得に働く事を知った。

結婚ついて。

僕はあまり結婚願望がない。

 

子供が欲しいという欲求はあるが、結婚をするくらいなら諦めざるおえないとも思っている。単純に自分の子孫を残したいという欲求だと思う。

 

でも同じ女性にずっとそばにいて欲しいとは望まない。

女性と自由な交際関係ができなくなるし、何かと尽くさなくてはいけない。

多分、自分の自由に制限が掛かるのが嫌なのだと思う。

 

人から結婚について質問されると、「良い人がいればしたい。」とだけ答えておいて実際の願望はない。

 

世間体を考えてそう言わざるおえない。

 

実際、周りの話を聞いていると離婚も少なくないようだし結局そのリスクがあるなら限りある人生に大きな制限を儲けようとは思わない。

 

変な人間だと思われるかもしれないがこれが僕の結婚観だ。

ふざけたい。

社会人になってからふざけるという行為を全くと言っていいほどしなくなった。

 

仮にするにしてもどういう風にふざけようかと意識的に考えてしまってもはやふざけるという行為ですらなくなる。

 

頭を使わずできていた事が、歳を重ねるにつれて変に考えて行動に移している節がある。

 

子供のように無邪気に頭で閃いた反射的なふざけ方ができればもっと心が軽くなるだろうと想像する。