退屈は苦痛。
休日に一日中ゴロゴロしていると何もしなかった罪悪感にかられ、逆にストレスになってしまう事がある。
むしろ出勤日に何のトラブルも無く、早々に帰宅できた日の方が達成感と開放感が感じられてすごくいい気分になる。
休日でも自分の趣味や自己啓発に勤しむ事で本当の意味でストレスフリーな生活ができるようになると思う。
新しい事にチャレンジすることも爽快感に繋がって良い。
何もしないということと休息を混同してはいけないと考える。
急速は新しいステップに調整するための準備時間と捉えるし、その時間を使って調べ物や知識を得て新しい事に挑戦できる。
退屈はただ何も考えすいたずらに時間を浪費しているに過ぎない。
自分が本当に良い思いをする為にも適度に働いて、退屈から自分を救えたらと願う。
自分を褒めてあげられるのは自分だけ。
社会人にもなると他人から褒めてもらえる機会なんてほぼ皆無だ。
むしろ叱責される事が多い。
人間はネガティブなことばかり言われ続けられると自然に洗脳され落ち込んで行く生き物だ。
努力は人に見えないところで行われるので、自分しか見ていない。
だから他者は影の努力を知る由もない。だからこそ一番近くでその努力を見ている自分を褒めてやれるのは自分だけだと思う。
自分を褒め、努力の軌跡を実感する事ができればより上のレベルへ行くた為のモチベーションになるに違いない。
出身地のメリットは大きい。
人は生まれながらにして障害つき合っていかなければならないステータスがある。
容姿とか健康状態とか出身地とか。
タイトルの通り人は出生地で大きくイメージが変化してくると思う。
私は京都出身だが、わりかしメリットが多い土地に生まれたと思っているし、ラッキーだったなと思ったりする。
例えば、「京都人は気品がある。」、「京都は風情がある。」等、言ってもらえると気分がいいことばかりだ。
一方、「京都人は腹黒い。」というネガティブな反応もあるが、それでさえイジリ的なノリで言ってもらえたりと、結局は注目を集めると言ったプラスの方向に働く。
こういう事実を考えると出生地も生まれ持った才能の一つなのかと思えたりするのであった。
学生時代の影響が未来を左右する。
社会人になって仕事以外のアクティビティをしているの気づく事がある。
どれも学生時代に熱中していた事と結びついている。
たとえば、運動だと水泳が好きだし、実際水泳部にも所属していた。
パソコンで動画を見る際もダンスやテニス等、どれも学生時代に興味を持ったものだ。
音楽も昔聞いていたものを聞くし、昔好きだったアーティストの新曲も取っつきやすい。
いつも結果論で納得する事だが、どうしても幼少期や青年期に経験した嗜好に合わせて人生を歩んでいるように思う。
そういう意味では学生時代から色んな経験を積見なさいという大人達からのアドバイスは正解だと思う。
準備段階で全てが決まる。
仕事において準備段階で全てが決まると良く言われているが、先日、実生活でもそれを実感する事があった。
髪の毛をセットしている時だったが、朝は出勤準備に追われてセットが適当になる事が多い。
急いでいるのになかなか好みの髪型に決まらなくてイライラが募る。
何をするにも怠けてはいけない。
まず、髪にセット剤を着ける前にドライヤーでベースの形を作らないといけない。もしくは、水で軽く形を作った方がセットの工程がスムーズに行く。
結果的には形のいいセットができるし、時間短縮にも繋がる。
必要な準備を怠けては良い結果に繋がらないと思い知った少し深めの髪の毛のセットでした。
頭で考えてダメなら。
頭で考えてダメなら頭によぎった事全てに挑戦しようと決めた。
多分、何をすべきか自分でわかっていても段階的にどう解決すれば良いか迷う時が多い。
そんな時は、効果がなさそうな事でもとにかく行動に写していこうと思う。
その過程で合理的な方法が見つかればいいとお思うし、最初から計画通り運ぼうとすると余計にしんどくなって挫折する可能性が高くなるかもしれない。
行動あるのみ。